ジョン・カサヴェテス

長文ですので、整理しました。
↓の"more"から入ってください。




 私は20代前半の約3年間、今では考えられないほど映画を見ていました。レンタルビデオも頻繁に借りましたが、劇場で映画を見ることの方が多かったように思います。そんな20代のうら若き頃に出逢った映画監督の一人、その人こそジョン・カサヴェテス(1929-1989)です。カサヴェテスの名を知らなくとも、映画『グロリア』(米1980)なら知っている人がいるかもしれません。この監督は非常に独特な視点で映画を作ってきた、類稀な監督でした。
 彼は「アメリカのインディーズ映画の父」と呼ばれた監督です。NY生まれのギリシア移民の子であったカサヴェテスにはデビュー作『アメリカの影』(原題:Shadows)があります。 NYを舞台にし、他の監督がなかなか着手したがらない黒人と白人の間にある微妙で難しい関係を、しかも黒人の視点で描きました。既に1959年に公開されたインディーズ映画でした。
 この監督の影響を受けたアメリカ人の映画監督は多く、『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1990)で日本でも知られるジム・ジャームッシュ、また、ウディ・アレンなどが代表格と言われています。しかし、実質的には「世界のインディーズ映画の父」と呼んで良いでしょう。何故なら、カサヴェテスはアメリカ人に限らず、諸外国にも彼を支持し、少ならからず影響を受けたような監督が多いのです。また、諸外国にはカサヴェテスのような監督がいまだに現われていません。ドイツのヴィム・ヴェンダース、フィンランドのアキ・カウリスマキのような、ヨーロッパの監督達が影響を受けているであろうことは十分考えられます。それ以上に、香港のウォン・カーワイ監督の昔のコメントは多くの映画監督の持つ思いを代表していたようなものです。彼のカサヴェテスへの思いは強く、ある日本国内で販売されたウォン映画のプログラム中で「僕はカサヴェテスが好きだ。彼のように自由に映画を撮りたい」とコメントを残していました。ウォン氏は自他認める自分勝手で自由奔放な映画監督として、世界の映画ファンに知られています。そのウォンですら、「彼は自由だ」と見なす、インディーズ系映画監督・ジョン・カサヴェテスであるのです。
 それでは、ウォン氏の言うように、カサヴェテスは本当に自由に映画とっていたのかというと、自由と引き換えに多くの制約の中で映画を撮っていたため、むしろ不自由と苦心をしていたと思われます。とかく資金と時間の問題が彼につきまといました。
 カサヴェテスは1970年前後に、映画監督として一度足を踏み込んだハリウッド映画の世界から追放されたのです。映画の内容に関して、配給会社との折り合いがつかなかったこと、ハリウッドの映画界のしきたりに適合できなかったことなどが挙げられます。ハリウッドに真っ向から立ち向かい、ブラックリストにまで載せらたカサヴェテスは、アメリカで映画を撮り続けるなら「インディーズ映画の監督」しか道がありませんでした。
 配給会社からの資金を絶たれたカサヴェテスは、資金を主に自分自身で調達しました。TVドラマや他の監督の映画に脇役などで出演し、そのギャラを自身の映画の資金に充てましたました。また、ロサンゼルスの自宅を担保にしていたという話があります。その自宅は、彼の映画の撮影で何度も使用されていました。さらに、彼は自身の家族、親兄弟、親類、友人らを自身の映画に出演させました。身内の出演は経費がかからない、これ以外に出演理由はありません。ハリウッドに見放されたカサヴェテスではありましたが、幸運なことに、彼には心強い見方が存在しました。それは、彼の伴侶で女優のジーナ・ローランズ、親友で『刑事コロンボ』のコロンボ役であまりにも有名な俳優ピーター・フォーク、同じく親友で俳優のベン・ギャザラがそうです。そのため、インディーズ映画とは思えぬほどの贅沢な女優と俳優までもが出演していたのです。また、フォークは時にカサヴェテス映画の共同出資者にもなりました。
 しかし、カサヴェテスが多くのTVドラマや映画に出演しても、自宅が担保になっても、家族や親友が出演に協力してくれても、映画製作に必要な資金が底を尽き、撮影が長期止まってしまったこともありました。その間、彼はTVドラマ等で俳優業をおこない、また資金稼ぎをしたと言われています。また、1968年の『フェイシズ』(原題:Faces)という作品があるのですが、この作品は完成までに約3年かかりました。『フェイシズ』は出演者たちや脚本において、多数の賞を獲得できたため、興行的には成功したました。が、低予算なりの努力を心がけても、映画を撮る度に何かと資金が必要となり、撮影に時間がかかったのです。
 カサヴェテスはハリウッドから決別し、金銭面において苦労をしましたが、彼の生前のインタビューで、シナリオが半分ほどできたら、俳優達と話し合いながら内容をつめていく、これが自身の映画製作の仕方だと言っていました。また、映画を見てくれる観客の目より、監督を含め俳優らや製作者側がいかに楽しく映画作りができるか、こちらの方に感心があると言うのです。この彼のやり方と発想は、ハリウッド映画界とは逆であるそうです。資金と時間に関する制限と引き換えに、映画作りの本当の楽しさと醍醐味をカサヴェテスは得たわけです。ハリウッド系の配給会社ではなくとも、配給会社と手を結んでしまった多くの監督が、カサヴェテスの経験してきたこの究極の楽しみを初めから得られなかったり、途中から失ったのです。
 そのため、ウォン氏はカサヴェテスの撮影の仕方に憧れ、できる限りわがままを通し、あちこち歩き回りながら撮影ました。そして、元インディーズ系のジム・ジャームッシュ監督はカサヴェテスの妻・ジーナ・ローランズを自身の映画に起用しました。配給会社やスポンサーからの要求を飲みつつも、カサヴェテスの模倣をしてみたり、彼の関係者に近づいてみたり、それだけジョン・カサヴェテス監督は後続の映画監督にとっては憧れであり、目指すべき存在だったのです。 
 
(長文におつき合いくださり、ありがとうございました。日頃、雑でいいかげんな文章に終始することが多かったので、今回は少し堅い文章を書きました。たまに書かないと、感覚が鈍るので…。失礼しました。)
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by katze888 | 2005-07-24 02:47 | 映画・舞台

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